2011.5.4
国道152号(茅野~浜松)を行く(その②)。
ということで大鹿村から地蔵峠としらびそ峠へ。この大鹿村、は、村の北端が分杭峠・南端は地蔵峠というまるで人の往来を拒むかの様な峻嶮な峠に囲まれた村である。現在でもそうなのだから昔の険しさといったら、さもありなんである。

152号は1~1.5車線を繰り返しながら青木川沿いを進む。
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小気味良くシフトダウンしながら進入したいコーナー?である。
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地蔵峠が近づいてくると、もはや100番台の国道とは思えない情景が広がる。
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こんな所で散弾銃ブッ放すのは止めてほしい。
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そして地蔵峠(例によってリズム良く走れたので写真はない)。152号はこの地蔵峠でいったん区切れている。峠を境に南側は蛇洞(じゃぼら)林道が迂回路として機能しているが、走っていると峠を境にそのまま国道→林道になるだけ。
 ※地図から戻る時、× 押すと消えちゃうから、矢印で戻ってね。
http://g.co/maps/66jdd

蛇洞(じゃぼら)林道
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ぐいぐい進むとこの看板。(振り返る感じで撮影)。このしらびそ高原へのルートは冬季閉鎖で、更にGW前まで「落石の恐れがある」ということで通行不能だった模様。落石じゃなくて、その恐れがある巨岩を撤去したらしい。
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こういう看板で「行けません」はよく見るが、「行けます」と断言されてもなぜか不安感が増す・・・
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ということでしらびそ峠にあった登山道の入口です。何かもう、これ登れっていうだけで嫌です。
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どうも個人的に目前に広がる美しい山並みを見ても何とも思わない。何ででしょうか。
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そしてこのしらびそ峠を下ると、飯田市上村にある「下栗の里」に出る。急こう配の山腹を切り開いたこの村、その急こう配を這うような車道はほぼすれ違い不可能。
正直「何でこんな所に住んでいるのか?」と疑問に思わざるを得ない。すいません。
ここは日本の原風景が残る地として、「日本のチロル」と呼ばれているらしいが、俺を含むほとんどの人はチロルの詳細を知らないだろう。いちいち、そんなん「日本の~」って付けなくても良いだろう。
この風景を見れば満足である。ただここ・・・住んでいる人にとっては観光客の車とかバイクとか迷惑でしょうね。。。
続く
そしてその下栗にある「下栗 捨五舎大明神」
この写真からも分かる様に、こんな急こう配の斜面がずっと続くのである。
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珍しい名前の神社です。由来はこちら。
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一般的な神社とは少し様相が違います。特にお賽銭箱や拝殿はありません。
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この右側を進むと裏手に炊事場がありました。イメージ的には、公民館の中に祀られているといった感じかな。地域の方の生活に密着している神様なのでしょう。
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そして下栗の里を抜け、152号に戻る間にあった中立の稲荷神社
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ここも先ほどの神社と同じく、横に炊事場らしき物がある集会場みたいな造りです。地域の人と共にある神様なんでしょう。この地域の自然の厳しさは現在でも容易に想像できるので、こういう人と神々との密接な信仰が発展したのでしょう。
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という訳で152号の不通区間をカバーする林道でした。その後、看板に誘われ寄ったのは「(旧)木沢小学校」で現校舎は昭和7年竣工の木造だそうです。生徒数は昭和20年に310名、昭和34年に264名もいたらしい。平成3年に休校となった時点での生徒数は26名ということで、こんな山奥に結構な生徒数ですね。

ただ、私も小学校3年まで群馬の田舎で木造校舎でした。その後、校舎建て替えで2年間くらい校庭のプレハブで授業だったので、エアコンなんぞ無いので夏はクッソ暑いし、冬は石油ストーブの近くだけ暖かいという、今思うと最悪の授業環境でした。現代風な鉄筋の構造の校舎になったのは、小学校6年生になってから・・なので、木造校舎見てもあまり感動しなかった。
あまり心に響かない看板。
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そして、そのすぐ横にあった小嵐神社。 ただこの時、これに興味を持ったのが・・・
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看板が凄かった。どうやら看板を読み解くと小嵐神社自体が、ここから徒歩で90分!かかるようだ。
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ただ「途中で車道」に出ると書いてある。車でも行けそうだ。
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車道を探すと、すぐ近くにこれがあった。
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これを見てスルーできる人間がいますか?
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以上