2012.7.16
400円払って、足尾駅近くにある「古河掛水倶楽部」へ。
以下はもらったパンフから。
足尾銅山は慶長15年(1610年)備前楯山で二人の農民によって発見され江戸幕府直轄の銅山として栄え、その銅は東照宮、芝増上寺や江戸城の屋根や、銅銭「寛永通宝」にも使われました。

明治10年(1877年)廃山同様になっていた足尾銅山を古河市兵衛が経営するようになり、日本の鉱山としては最先端の技術を取り入れ、日本の産銅の約半分を生産するに至り、東洋一の銅山と呼ばれるようになりました。
古河 掛水倶楽部は約100年前に銅山の迎賓館として建設され、1部の和風部分は明治末期に改築され洋風2階建てとなり、銅山の宿泊施設や会合に使用され現在も古河機械金属㈱の福利厚生施設として現役で活躍しています。公開日は、土曜、日曜,祝日ですが、ウィクデーも事前予約により公開致します。

だって。
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内部は撮影禁止だったが、この建物の内部は本当に素晴らしかった。普段あまり感動することはないが、ここは感動しました。今でいうところのゲストルームがいくつもあり、建具・家具・寝具等がとても良い趣味をしていた。外観はモダンな洋館・内側はもっと格好良く、素晴らしかった。

この様な建物を100年以上前に良くこんな田舎に建てたものだとひたすら感心。ということで、庭を巡っていたら建物の正面(向こう側)に回り込めました。
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2階は畳の大広間の様になっていて全面窓。こんな景色眺めながらお昼寝したい。
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手前の5だか6角形の部屋も和室。ここでのんびり読書したい。
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ただ、冬は相当寒いでしょうね それから敷地内にはこんなのが。
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課長宅
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所長宅
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所長と課長はレベルが違う。こんな今でさえ交通の便が非常に悪い所に良く建てたものである。
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平成21年まで利用されていたらしい・・・凄いなそれ。一体部屋何個あるのでしょうか?
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その先も家があったが・・・たぶんまだ人が住んでいる模様。
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入口横にあった銅山電話博物館・・携帯電話のコメント・・話をはしょりすぎな気がする。
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旧足尾鉱業所付属倉庫・・1910年(明治43年)の建築。
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ということで、結構な時間をこの掛水倶楽部で過ごしました。
続く

掛水倶楽部の近くにあった橋。
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草木ダム 堤高140m・堤長405m・重力式ダム
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やはりデカいな。でも水が少なかった。
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古峰ヶ原高原・・・昔道路繋がってなかったけど、今回繋がっていた。調べてみると2008年に開通したとのことだが、正直そこまでして繋げる道路ではない。名は栃木県道58号草久足尾線 どうせ一年の半分は雪のため閉鎖だろ。
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ということで今回のツーリングで最後に寄った古峰神社
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以上
足尾関連は






終わり