ツーリングの〆に「大滝宿(駅)」へ。既に16時を過ぎ余計に寂しい感じとなってきたが、この看板の「もみじ亭」で休憩しよう。
ちょうど一服したかったんだ。この建物のことかな?やってません。
反対側にはこんな建物もあったけど珈琲飲めません。
大滝山神神社で今度こそコーヒーを・・・
・・・
続く
以下、大滝山神神社の石碑より。
ここは明治14年10月3日、「萬世大路」開通時に視察に訪れた明治天皇が渡辺要七宅にて休憩された場所。
万世大路
1881年(明治14年)の開通式の際、参加した明治天皇により、「萬世ノ永キニ渡リ人々ニ愛サレル道トナレ」という願いを込めて「萬世大路」と命名された。しかし1899年(明治32年)に奥羽本線が開通すると、旅客や貨物は鉄道によって運ばれるようになり、利用者が徐々に減少した。
何しろこの万世大路は、深い山中にあり1年の半分を冬季閉鎖するというのだから仕方あるまい。
しかし実質20年ちょっとでその大きな役目を終えてしまった街道というのも寂しい限りである。このダートもしばらくするとゲートが出てきて行き止まりとなった。
その後、1933年(昭和8年)自動車による通行を可能にするための改修工事開始。1936年(昭和11年)改修工事が竣工し、これにより栗子隧道を自動車が通行できるようになった。
大滝宿のこの道の事なのかな。
1966年(昭和41年)5月に現在の栗子道路(国道13号)が開通した。なかなかのスピードで飛ばせる道路です。
現在は更に東北中央自動車道の建設中です。
訪問したこの「大滝(宿・駅)」 大正6年頃、大滝鉱山の鉱脈がつき廃鉱に。最盛期は昭和10年頃で266人43世帯があったが、昭和30年代に入ると人口が流出しはじめ昭和54年ついに無人の里となる。
先ほどコーヒーの看板があった大滝山神神社に石造りの小さな小さなお宮がありました。何で石造りなんだろう?と不思議に思い、傍らの石碑を読むとその理由がわかりました。
以下、「大滝山神神社の由来」より
90年の永きに亘り、大滝をお守りいただいた氏神様を雪国に強い御影石造りのお宮に造営の上、遷宮申し上げました。
そして最後はこんな言葉で終わっていた。
願わくは故郷の再興と出身者家族代々の上に幸せを垂れ賜い。
泣けてきた。神奈川に帰ろう。本日の走行距離は795キロと久しぶりに走り込んだ。
以上