2014.7.15
北海道&東日本パスの旅の初日。夜のはまなすまで時間があるため、以前から訪問したかった「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」を訪問しました。中に入ると青函連絡船だけの資料だけではなく、戦後の青森の生活に触れたジオラマもたくさんありました。
DSC_0130

以下パンフレットより。
『青函ワールド』は昨年9月まで東京お台場「船の科学館」で、青函連絡船「羊蹄丸」に展示されていたジオラマです。その後解体のため愛媛県新居浜市の「えひめ東予ショップリサイクル研究会」へ引き取られ、平成24年春、一般公開されました。その後、破棄される予定だったジオラマを残したいとの声が高まり、青森市の歴史・文化伝承のために活用する目的で平成24年7月31日、八甲田丸に移設されオープンしました。

ということです。一言でジオラマというがかなりの規模でした。(実際はもっと暗いです)
□■□■□■□■□□■□■□■□■□

◆登場人物:川代優子42才・川代勝吾・警察官守屋助蔵(ヤミ米取締りの巡回)
◆ストーリー:120キロ!の米(米俵2個分)をかつぐ優子の傍らには幼い勝吾君。本来は呼び止め、荷物を検査しなければいけないが、それをするとこの親子がどうなってしまうのか守屋は十分に分かっている。これしか延びる道の無い母と子を見逃す守屋。
警官と背負子の人情味溢れるストーリーにいきなり泣かされそうになる。単に船を見に来ただけだったのに完全に不意を突かれた形である。この川代勝吾君も今は70才くらいであろうか。
DSC_0063

②赤帽さん車総助53才。青森駅に列車が到着すると、乗客たちはいち早く身軽になって良い席を確保しようと両手に余る荷物は赤帽さんに頼んだという。大きな荷物を抱えて旅行する人も減り、青森の赤帽は昭和53年(1978年)6月に廃止。
DSC_0065

③朝市のりんご長屋 まだまだ沢山あったがキリがないのでこの辺りでおしまい。
DSC_0067
□■□■□■□■□□■□■□■□■□
上のジオラマ以外にも所々にリアルな人形が置いてあり驚かされる。売っているタバコがピースという所にこだわりを感じることができる。今はどこも禁煙だもんね。
DSC_0061_01

船長室にはなぜか金髪風の西洋人が鎮座。どこかのお店のマネキン持ってきた?それにしても急に振り向きそうで怖かった。
DSC_0075

順路は2階から入り、3階・4階へと階段で上がっていきます。3階は上記のジオラマを初めとし、様々な展示物がありました。4階に上がり前方のブリッジに入ります。
だからびっくりするって・・何でこんな歌舞伎役者みたいな顔をしているのか。
DSC_0084
DSC_0083

火災警報盤・・機械室は二酸化炭素・車両格納庫はスプリンクラー・旅客スペースには何にも無しか?

DSC_0090_01

警報盤・・ハリウッド映画だと何やかんやで全て警報盤が点灯し、船長が『まさか・・そんな馬鹿な・・』とつぶやくシーンである。で、いきなり悪党の親玉が横から出て来て、『船長。もう心配する必要は有りませんよ』と優しい言葉を掛けた後、無慈悲に殺す。
DSC_0091
□■□■□■□■□□■□■□■□■□
遅くなったがここで八甲田丸について説明しよう。八甲田丸は1964年8月12日に就航。歴代の青函連絡船55隻の中で23年7ヶ月もの現役生活は最長。また青函連絡船の最終航行船の大役も果たした。押しも押されもせぬ青函連絡船のエースである。
DSC_0133
全長132.0m・全幅17.9m・使用エンジンはターボ付きディーゼルエンジン1600馬力8台。旅客定員は1,286名・積載車両は48両。速力は18.2ノット。
DSC_0089
連絡船自体は、青函トンネルの開通にあわせ、1988年(昭和63年)3月13日惜しまれつつその歴史に幕を下ろした。最後は洋蹄丸が17時ちょうどに函館出航・八甲田丸が17時05分に青森出航、それぞれが20時55分青森・函館着で青函連絡船すべての運行が終了。
(4階の航海甲板 煙突展望台から前方を撮影)
DSC_0087_01
(同じく後方)
DSC_0088_01
□■□■□■□■□□■□■□■□■□
この青函連絡船は石炭を主とした資源輸送を行っていたため、大東亜戦争時に就航していた12台は全て空襲による沈没や壊滅的な被害を受けたという。不勉強で全く知りませんでした。戦争の被害がこんな北まであったとは。
DSC_0070

予想外に真っ直ぐな青森・函館間の約110キロの航路を約4時間掛けて渡っていた。平気で半日くらい掛かるものかと思っていました。
DSC_0093
洞爺丸海難事故などの悲しい出来事もありました。1908年(明治41年)に鉄道連絡船として就航した比羅夫号が青函連絡船の歴史の始まりで、以来80年に渡って1億6千万人の乗客と2億5千万トンの貨物を運んだという。
続く

4階からはエレベーターで1階に降ります。エレベーター内部のボタン回りのこのやっつけ仕事振りが素敵でした。
DSC_0095_01

1階は車両格納スペース・・長い通路を後ろに進みます。
DSC_0096
運行当時はレールが4線あり、48両もの貨車を積むことが出来たという。
DSC_0106_01
キハ82
DSC_0129
こんな暗闇の中で国鉄時代の列車をまじまじと眺められるのも全国でここくらいだろう。
DSC_0114
右はキハ82・・製造初年は昭和36年(1961年)特急用のディーゼルカー。左はDD16・・製造初年は昭和46年(1971年)低規格線に入線出来るように軸重を軽くしたディーゼル機関車。
DSC_0100_01
船尾部分。ここが開いて地上の線路と接続、列車を収納するのである。絶え間なく揺れる船体とよく接続できたものである。雨漏りがあるのかバケツが置いてありました。
DSC_0101_01

波で絶え間なく上下動する連絡船と固定された地上の線路の間をどうやって列車を渡すのかが知りたく、図解やり展示物を読む・・理屈はわかったが、今一イメージ仕切れず。
DSC_0079
□■□■□■□■□□■□■□■□■□
更に地下1階に降ります。ここはンジンルームでとにかく大きい。エンジンはターボ付きディーゼルエンジン1600馬力8台。4台ずつ1組して左右1本ずつのプロペラを回していたという。(見学できるのは第一主機室)
DSC_0116_01
8台全部がフル稼働したときを想像するだけで興奮してきました。その横の制御室は、相当な音と温度だった事でしょう。
DSC_0119
八甲田丸は湾内の波を受けて、ギギギィ~と軋み音をあげながらずっと揺れていました。
青函トンネル開通を期に廃止となった青函連絡船。その青函トンネルも開通して約25年が経過した今、新幹線対応工事のため各種寝台列車の廃止が噂されています。 そんな青函トンネルの姿を八甲田丸はどう思いながら見つめているのでしょうか。
□■□■□■□■□□■□■□■□■□
気になったので、青函連絡船と切っても切れない関係(当たり前だが・・)の、北海道への渡航人数について調べてみました。

以下、『北海道観光の現況』北海道経済部観光局(平成25年12月)から。
北海道の観光入込客数(実人数)は、平成11年度の5,149万人をピークに伸び悩んでおり、平成23年度は東日本大震災の影響などにより落ち込んだが、平成24年度は観光需要が回復基調に転じたことに加え、観光関係団体等の協力のもと北海道デスティネーションキャンペーンが全国展開されたことや、高速自動車道の開通区間延長による交通アクセスの向上などから、5,098万人(前年度比110.5%)と震災前の水準に回復した。
北海道を訪れる観光客の属性をみると、性別では、男性が47.5%、女性が52.5%で、女性の割合が5%大きくなっている。年齢別では、50代以上が45.4%と半数近くを占め、居住地別では、関東が46.8%と群を抜いて多く
なっている。

つまりは北海道に来る5,000万人の約半分が関東の50代以上ということか・・そりゃ羽田⇔新千歳は儲かるはずである。
キャプチャ4
□■□■□■□■□□■□■□■□■□
しかし、次の資料を見ていただきたい。あんた、関東からはるばる北海道まで来て2泊3日で帰るって・・これじゃ函館・札幌・小樽の作られた観光施設に行って、写真撮ってソフト食って『あ~涼しい』で終わりでしょう。だったら箱根・熱海あたりでのんびり温泉でも入りましょうよ。
キャプチャ
□■□■□■□■□□■□■□■□■□
北海道の観光客の延べ人数の推移グラフ。
バブル崩壊まで絵に書いたような右肩あがり。昭和50年から比べると、バブル崩壊時はその約2倍。この現象は北海道だけではなく全国の温泉地とかもそうでしょう。それにしても、延べ人数だと1億人以上?凄い数である。
キャプチャ1

話を最初に戻すと、青函連絡船の利用客数はピークの昭和40年代後半で約500万人近く。昭和50年代の最末期で年間に約200万人に落ち込んでいた。約200万人というのは昭和30年代前半とほぼ同じ人数である。
DSC_0071

ただし、先ほどのグラフを見てもらえば分かる様に、青函連絡船が利用人数を落としている昭和50年代も北海道への観光客はどんどん増えている。どの時代もニーズに合わない物、またそれに合わせようと努力をしないものは淘汰されていくという事であろう。
我々は、単なる懐古趣味や懐かしさを求めるだけでこういった施設を訪れてはいけない。訪問した以上、そこから少しでも学んで帰るべきである。
DSC_0131
以上
□■□■□■□■□□■□■□■□■□
この旅の行程
1日目・・
2日目・・
2日目・・
3日目・・
3日目・・
4日目・・
4日目・・
5日目・・
5日目・・
6日目・・
番外編・・
立寄り編・・
□■□■□■□■□
この旅の行程は・・








□■□■□■□■□
その他の北海道 鉄道の旅(初日のみ)は・・








終わり。