2015.7.4
それにしても関東は11日(土)くらいから急に晴れが続き、それまでより10℃近く最高気温が上がったため体がだるくて仕方が無い。この3連休もダラダラ自宅で過ごすことでしょう。

ということで   の旅の途中で寄った増毛駅からすぐの「旧商家丸一本間家」を紹介したい。(以下貰ったパンフレットより)
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これを建てたのは本間家の初代、本間泰造。明治8年には26歳で独立し、増毛で荒物雑貨の店を始める。ニシン景気で沸いた増毛町では仕入れた商品が飛ぶように売れ、泰造は事業を次々に拡大していく。
事業拡大とともに建屋も増築したが、現在も残る本間家は店舗・呉服蔵・居宅・付属屋・醸造蔵などで構成され、20年以上の歳月をかけ明治35年に完成したもの。
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この年、泰造は各種事業を統合し、丸一本間合名会社を立ち上げ、本間家は時代の趨勢にあわせて事業を縮小していき、現在でも国稀酒造が営業中。平成15年には国の重要文化財に指定されました。平成10年から増毛町による修繕・復元が行なわれ、明治35年当時の状態が再現されている。
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呉服店舗 明治時代の呉服屋を再現。
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奥帳場(経理関係)の天井の明かり取り。電灯のなかった時代に少しでも明るい環境で仕事をするためだそう。
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付属屋(明治27年の建築と考えられる)のとても急な階段を登る。
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2階の2間続きの和室。基本的に本間家の家族が居住していた。こんな和室で暮らしたい。
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この横に女中頭の部屋があったので「さてどんなタコ部屋だろう?」と覗くと、全く想像外の環境の良さでした。
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付属屋の3階は主に客間として使用。当時は周囲に高い建物はなく北側には日本海・南側には暑寒別岳の眺望が楽しめたという。こんな客間に通されたい。
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上勝手 家人が食事などをする場所として利用。平成9年まで実際に住居として使用され、後年は居間として使用されたので中央には掘りごたつが有った。
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結構な時間をこの建物で過ごしてしまいました。
続く
そしてすぐ近くのニシン船が展示されていた建物。「国稀千石蔵」
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中はだだっ広い。
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ニシン漁は江戸期から昭和30年まで続き、3月から5月までのわずかな期間の漁で1年を暮らすと言う特殊な形態を持つ産業だった。まさに北海道西海岸に押し寄せるニシンの大群を巡る男たちのドラマである。
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昭和30年頃から急にニシンが取れなくなったらしいが、明確な原因はいまだに解明されていない。
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地元の船大工さんによって昭和25年頃に建造されたニシン漁に使われた船。増毛地方で作り出された「ダルマハギ」という構造を持つ船で、展示されていたのは枠船。沖の定置網設置場所に停泊し、ニシンが漁獲されると船底に吊り下げた枠網に入れて前浜まで進んだそう。
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増毛駅構内で貨物のニシンを400トンも腐らせた事があるそうです。400トンって・・
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増毛厳島神社・・現地看板によると、宝永年間(1704~08)に「弁天社」として創立したのが始まりと伝えられている。
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文化13年(1816年)に安芸の厳島神社より分霊をいただき「厳島神社」と称するようになった。現在の本殿は総けやき造りで明治32年(1899年)から2年間かけて建てたもの。
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そして再び旧増毛小学校。
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旧商家丸一本間家といい、この増毛小学校といい北海道のこんな田舎町にある事が信じられなかった。皆様もただ留萌本線を往復するだけでなく増毛の街を散策した方が良いでしょう。
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以上
増毛と留萌の街はこちらをどうぞ。



増毛⇒留萌の鉄道の旅はこちらをどうぞ。








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この旅の行程は
1日目:
2日目:
2日目:
3日目: 
3日目:
4日目:
4日目:
4日目:
5日目:
5日目:
6日目:

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北海道 鉄道の旅 一覧(初日のみ)








終わり。