2017年のGWは素掘りと切通し。
大多喜町小土呂 ここよりも手前にあった気がします。
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現地の記念碑を見ると、昭和21年から開始?の25年・29年に完成?という数字が読めた。分からん文字がほとんどだったが、昭和20年代後半に失業対策として工事をして述べ?3,000人によって造られた道の様です。森林組合長の塩田何とかさんと言う名も何とか分かった。
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結果的に出だしが一番荒れてましたね。
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「このまま続くなら帰るぞ」と思いながら進むと、途中から何故かそこそこ歩ける道になりました。
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ただし圧倒的に心細いです。
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山中のヘアピンカーブ。おそらくは1kmほど西を走る国道297号線の勾配のある連続カーブを登っていると思われる車のエンジン音が聞こえてきました。
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・‥…━━━☆・‥…━━━☆
20分近く歩いたでしょうか。かなり不安になってきた頃にやっと現れてくれた素掘りトンネル。トンネル(赤い看板)の左にまだ上に進む道があります。トンネルが出来る前の旧道でしょうか?
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何だか素掘りトンネルというよりも、大きな裂け目といった方が良いだろう。
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表面は岩みたいな感じだが、内面はもの凄くサラサラしていてまるで砂の様でした。
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何やらI loveという文字が彫ってあるけどこの愛は叶ったのでしょうか。
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小さな石碑(道祖神)がありました。通行人の安全と牛馬のために近道を造った・・あとは読めない。側面にはここにも発起願主 塩田何とかと書いてありました。ここに来る前に見た記念碑の内容からすると、昭和20年代に造られたのであろう。
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この素掘りトンネルの1kmほど西を走る国道297号は、大多喜町横山地区(標高30mほど)と市原市米原地区(標高120mほど)の100m近くの高低差を、現在でも豪快なヘアピンカーブの連続で無理やりクリアしています。

昔から難所と呼べる場所だったんでしょう。トンネルの反対側は・・・行けそうもない。
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結構深い切通しですね。この先はゴルフ場になっているが、昔はどこに通じていたのでしょう。
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反対側は何だか一度吸い込まれたら出られない穴みたいだな。
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トンネルの中から見るとジャングルにいるみたいです。さて帰ることにしましょうか。
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続く
帰りは真正面に他の道があったのでそっちを降りていったら、やたらに急な坂道が続いてあっさり下まで降りてきました。
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溜池に突き当たったら道は終わってしまったので土手を下ることに。
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そのまま道なりに降りて行くと、何とスタート地点の経要寺の脇に戻って来ました。
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Wikipediaによると国道297号が1970年(昭和45年)に制定ということなので、行きに通った勾配がきつくない道が昭和20年代に出来たとすると、道としては少々短命なものだったのだろうか。
以上
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房総半島の素掘りトンネル一覧

↓月崎あたり↓





↓市原市↓




↓富津市↓




↓その他いろいろ↓






↓茂原市↓





↓君津市↓



千本城址(君津市)の素掘りトンネルへ
君津市豊英の素掘りトンネルへ。
君津市豊英の素掘りトンネルへ。(もうひとつ)
石射太郎山あたりの素掘りトンネルへ

↓とりあえずダム↓


 


↓鵜原↓






↓大多喜町とか↓




↓大網白里↓




切通しもどうぞ。



終わり。