2018.3.15
 の続き

ということで米子でちょっと街歩きしてから御来屋駅で降りました。14時15分到着で次は15時29分発と1時間ちょっと時間があります。
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大山町役場 観光商工課のWebによると以下の通りです。
明治35年11月1日に、山陰地方で初めての鉄道が開通しました。このときの開通区間が、物資の陸揚げ地である境港から、陸軍軍馬補充部のあった富長村(現大山町富長)にも近い御来屋の区間でした。
御来屋駅はその当時の駅舎が現存しており、山陰鉄道発祥当時の面影を色濃く残す「山陰最古の駅」。アンティークな駅舎内、荷置き台などは100年前のものがそのまま残っています。平成14年には山陰鉄道発祥100周年を記念して旧駅舎を改修。駅務室は朝どれ野菜や畜産物を販売する「みくりや市」として活用されています。
ということです。
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改札の向こうは小さな地元のスーパーといった感じでした。
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この駅は1902年(明治35年)11月1日開業なので、もう115年にもなるのか。
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立派な駅舎です。でも駅の利用者は私以外は2.3人だけでした。
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駅の近くには交通量の多い国道があるのであんまり風情はありません。
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駅前には地元の商工会と農協の施設が目立つくらいだったので、御来屋の漁港まで行く事にしました。
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ということで漁港の街並みがこちら。島根県の出雲市以西はとにかく石州瓦の独特な色が目立ちましたが、米子を過ぎて鳥取県に入るとこの黒っぽい壁の板張りが目立ってきます。瓦も普通はもう少し青が強いと思うがこの辺りは瓦も黒っぽいです。
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この御来屋漁港は小さな港ながらも境港や泊港、賀露港、網代港などなど県内の名だたる漁港をおさえ、県下一の水揚げを誇るサザエが特産だそうです。
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続く
そしてお次は赤碕駅。ここでも1時間くらい滞在時間があります。
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先ほどの御来屋に比べると駅前はかなり栄えていました。こちらの街も黒っぽい家々が続きます。
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この赤碕駅に来た目的はこの「鳴り石の浜」。ただ駅に着いて駅員さんと話すまで「鳴き砂」と完全に勘違いしておりました。そして駅名もこのブログ書くまで赤「崎」と間違っていました。
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勝手にカップルが仲睦まじく語り合っているとても綺麗でムーディーな砂浜をイメージしていたのですが、誰もいない海辺に丸っこい大きめな石がゴロゴロ転がっているという、ずいぶんと想像と違う光景が広がっておりました。
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上の看板の辺りにいてもちっとも鳴っていなかったので、「鳴っていたのは昔の話しか?」と疑いながらも波打ち際に行くと、急にザラザラザラ~っと石どおしがぶつかり合う荒々しい音が聞こえ始めました。正直そんなに感動しませんでした・・申し訳ない。
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そしてひとつ気になったのは、波打ち際の濡れて黒くなっている石しか仕事をしていない所である。後の大量の石はただただ歩きにくいだけでありました。写真撮るのもしゃがむとバランス崩すので立ったままカメラを下に向けて適当に何枚か撮って終わりです。
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赤碕駅に戻って16時42分発のアクアライナーを待っていると、到着した列車から降りてくる学生の姿が目立ちました。途中で疲れのため寝てしまいましたが、倉吉駅あたりでごっそり客(ほぼ学生)が入れ替わった記憶があります。
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という訳で鳥取駅に到着しましたが、鳥取駅って自動改札じゃないのか・・・
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まだ18時頃だったんですが、駅前に短いアーケード街には人は居ませんでした。
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皿そば喜楽というそば屋さんで夕ご飯。
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あとはもういいやホテル行こ・・・
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 に続く。
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この旅の行程
 









終わり