2018.4.19
   の続き
明治39年に建てられ、昭和6年まで市立図書館として利用されました。設計・施工は堀江佐吉です。
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階段を下から見上げると。
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踊り場の造りが非常に独特でした。
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この建物は横から見ると薄いです。図書館としてはとても小さいですね。
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その向こうには青森県初の私学校、旧東奥義塾の外人教師館があります。
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この外人宣教師館は、同校に招かれた外人宣教師のために、堀江佐吉らが明治34年に建てたもの。
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庭にはミニチュアの建造物がありました。
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地元の人が陸ガメを散歩させていました。飼い主さんによると亀も散歩をせがむそうです。
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これが原寸大ならリアルガメラ。
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こちらは青森銀行記念館(旧第五十九銀行本店本館) ルネッサンス風のシンメトリーな造り。明治37年(1904年)竣工で、昭和40年(1965年)に弘前支店新築のために建物を90度回転後50m移動したんだそうです。
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この辺りには洋館がいくつかありますが、一際目を引く建物です。木造2階建て・高さ17.4m、建築370.6㎡、柱と階段は青森県産のけやき、建具も青森県産のひば(あすなろ)を使用している。こちらも堀江佐吉の設計施工です。
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2階にはかなり大きな無柱の大会議室がありました。
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1階頭取室、2階大・小会議室の天井壁紙を金唐革紙(きんからからかみ)というそうで、建築当時のまま現在まで残されている建築物は日本でも数少なく貴重なものなんだそうです。
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展望台(装飾塔)に上る階段が良い。
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ちなみに太宰治の生家である斜陽館の設計も堀江佐吉ということです。

そしてすぐ近くにあった三上ビル(旧弘前無尽社屋)は、昭和2年建築の東北でも初期の鉄筋コンクリート造の建物です。
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続く
そしておまけのコーナー
この字体の癖は何でしょう。
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劣化が激しかった城北公園のタコの遊具。
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D51892蒸気機関車(通称:デコイチ)が有りました。
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富田の清水 清水を「しつこ」と読むそうです。
住宅地のT字路の脇にさりげなく出てきます。江戸時代から昭和初期まで紙すきに使われて、その後は生活用水として利用されているそうです。
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ここは昭和60年に国指定の「名水百選」に選ばれていました。現地に超軟水と書いてあったので飲んでみると、予想外に少し硬い感じがしました。調べてみると硬度約70mg/Lだったので、超が付くほど柔らかくは無いかと思います。
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6層に分かれている珍しいもので、とても綺麗に清掃されていました。
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そしてそのすぐ近くにかなり寂れた湧水がありました。こっちは「御膳水(吉野町)」という様です。

弘前市の紹介によると・・・
宝永元年(1704年)清水沿いにお茶屋ができ、明治14年(1881年)に明治天皇が行幸されたおり、料理やお茶にこのシツコを使ったとのことです。なお、御膳水については飲料の用途には適しておりません。昭和61年3月に県指定の「私たちの名水」に選ばれています。
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柱には昭和60年4月1日改築の札が有って、明治43年6月の利用方法の注意書きがあります。さっきの「富田の清水」と比べると何だか寂しい感じです。
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弘前市の「平成28年度版   環境保全の概要」を見ると最初に見た「富田の清水」も「御膳水」のどちらも、昭和際後期~平成初期にかけて改修はされてます。
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管理者を見ると「富田の清水」の管理者が弘前市(環境管理課)なのに対して、御膳水は稲荷神社の氏子(すぐ近くの富田稲荷神社?) なのでその辺りの予算の違いというのもあるのだろうか。
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かなり荒れているというか、平成初期に改修して30年近くそのままだとこうなるのだろうか・・・ 「富田の清水」が国指定の「名水百選」に選ばれたのに、この「御膳水」に何もに無いのが可哀想だから、県指定の「私たちの名水」にしてあげたのでしょうか?
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本当にチョロチョロですが、ここから脇の小さな水路に流れ出ていました。
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ということで終わります。
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今回の弘前への旅









 
 
終わり