2018.9.23と24
元々は今月6日から~9日まで函館周辺に行く予定だったのですが、6日に起きた北海道胆振東部地震のため飛行機が飛ばなかったのです。

ということで「北海道&東日本パス」の期限ギリギリの9月最終週に再び北海道に行く事にしました。1日目は新千歳空港に17時過ぎに着いたので、札幌の宿に向かうだけであります。
新千歳空港はこの状態が人が多いのか少ないのか分かりませんが、普通に運営しておりました。少し薄暗く感じたのは節電しているからなのかな?
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地震から2週間以上経ったこの日もまだ3階から上は閉鎖中でした。
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ということで閉鎖と言われると見てみたくなるのが人でしょう。でも3連休の中日にしてはやっぱり人が少ない方なのかな?
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なるほど。確かに3階へは丸ごと行けません。
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ということで翌朝のすすきのの交差点です。地震後にこのニッカウヰスキーの看板が点灯したのは、地震から2週間後の19日午後6時の事でした。
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札幌駅6時58分発の石狩当別行きの列車に乗るために歩いていると、3連休の最終日のすすきのには朝帰りっぽい若者がたくさんいました。ということでこのブログも2日目前編から開始いたします。
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石狩当別で乗り換えた新十津川行きの1両編成は7.8割方席が埋まる盛況振り。おそらくはほぼ全員が新十津川往復なのでしょうが、私は浦臼の手前の札的で下車しました。
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着いたのは9時2分で次の浦臼行きは12時41分と3時間以上ありますが、北海道のローカル線巡りをしているとよく出くわす位の時間ですかね。
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立派な造りの待合室がありました。
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最初は「待合室を経由して外に出るのかな?」と思いましたが、ホームの端に小さな階段がありました。
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町役場がある浦臼駅まで2km程度だし、1日6往復しかないこの駅を使う人はあんまりいないのかな。
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駅前には店構えの押し出しが強い「しいたけ飯店本店」という中華屋さんがありました。折り返しの列車まで1時間以上あるので隣の晩生内駅まで歩いて行きましょう。
続く
歩いていると「坂本龍馬家の墓」の看板がありました。立ち寄りませんでしたが、何やかんやで北海道とは関係があるそうです。
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3kmほど離れた晩生内へは国道275号を歩くのですが、トラックと乗用車が恐ろしい速さで通り過ぎて行くので、幅の広い歩道でも怖いくらいです。そして晩生内の集落に入る踏切の名前が「第6札幌稚内線」でした。札幌稚内線とはこれまたスケールが大きい話しです。
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更にやぶの中には「季節の仮設道路」と書かれた看板がありました。
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その仮設道路はもはや判別不能でした。
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急に出てきた「1号チャシ」 時間があまり無いのでここから先には進まず。
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そして「2号チャシ」 チャシとはアイヌ語で砦、館、柵、柵囲い等を意味するそうです。
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晩生内の集落に着いたのが10時頃、列車が10時30分なのであまり時間はありませんが、晩生内神社を参拝しようとするとやけに急な階段が閉鎖されていました
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おまけに晩生内神社の真正面の照光寺も廃寺?になっていました。
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脇の車道から上がる事にしました。参道は何やら森の妖精が出てきそうな雰囲気です。
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木々の先に拝殿が見えますが、あんまり時間がないのでここまでにしました。
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そこそこ展望がありました。
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そしてこちらが晩生内(おそきない)駅です。 
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駅前はそこそこ広いです。
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そして駅舎側の線路が剥がされた様で駅舎がホームから離れています。
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ということでお次は中小屋駅へ向かいます。
 に続く
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この旅の行程
1日目:なし
2日目:
2日目:
2日目:
3日目:
3日目:
3日目:
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4日目:
4日目:
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4日目:
5日目:
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↓これまでの北海道の旅↓








終わり