2019.3.30
 の続き
お次は伊予市駅で下車しました。道路を挟んだすぐ隣に伊予鉄の郡中港駅があります。
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駅前にあった伊予市の商工案内図  伊予鉄道の郡中港駅とJRの伊予市駅が書いてあるのが分かります。
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こちらが道路挟んですぐの伊予鉄道の郡中港です。1896(明治29)年に現在の松山市から郡中駅まで南予鉄道が開通して、その後1939(昭和14)年に現在の終着駅である郡中港駅まで開通したそうです。ちなみにJRの伊予市駅は1930(昭和)5年に開業です。
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そして郡中港は何と読むのかと思ったらそのまま「ぐんちゅうこう」でした。特に理由もなく郡中港駅を通り過ぎると、交差点にあったのは山惣商店・・・江戸後期は旅籠だったという建物でした。
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ここ郡中港は大洲藩の米の積出港となったことで江戸時代を通じて発展し、明治以降も県外の間との流通拠点として船舶輸送が一層活発になったということです。しかし、戦後になると松山港が整備されて輸送需要がシフトしてしまい、また陸上輸送が発達したことによって、伊予市の流通拠点性が大きく失われてしまったそうです。
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こちらは宮内小三郎邸 瓦付きの立派なうだつが上がりすぎております。でもこれ延焼防止になるのでしょうか?塗り壁じゃないから一緒に燃えてしまいそうですけど。
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この前の通りは灘町商店街といって伊予鉄道郡中線に沿って1km以上商店街が続いていますが、1971(昭和46)年頃からの大型商業施設のオープンや何やかんやで少しずつ衰退が始まっていったそうです。
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とはいうもののここだけ見て駅に戻りました。
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これまた違う伊予市商工案内図
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終着の郡中港駅は簡素なホームでした。「愛媛=みかん」のイメージなので昔からこんな色なのかと思ったら2015年から導入された新色ということです。「前に来た時もこんな色だった気がするけど・・・」と思いながら自分のブログ見返すと、確かに全く色が違っていました。人間の記憶は曖昧であります。

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元京王の伊予鉄道700系はずいぶんと車内が広く感じました。
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続く
こちらは松前(まさき)駅 南予鉄道の開業時から存在する非常に長い歴史を持つ駅だそうで、見事な駅舎でした。
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駅舎の建築時期は不明ということです。
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列車交換も出来る駅でした。
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学校前の歩道橋から見えてきた給水塔
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そして松前駅から歩いて見に行ったのは江川団地の給水塔です。
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あまり管理状況がよろしくない団地だったので給水塔だけ撮ってさっさと立ち去りました。
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この所々白っぽいのは補修の跡か元々なのか。
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そのまま歩いて「元気人村」に風呂に入りに行きました。建物は大きいのに風呂は狭くて、温泉というよりは地元の方々が集まる小さな健康ランドって感じでした。そして今まで見た中でも相当にもの凄く細いロッカーで、リュックのままだと入らないので中身を全部出してから突っ込んだので非常に面倒でした。
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すぐ前は海ですが、近くに工場が見えるので雰囲気にはそんなに宜しくなかったです。そしてこの「元気人村」は今更ながらにwebをちゃんと見ると「漢方薬草湯の温浴施設」とあったので、そもそも温泉じゃかなったです。
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この日は少し肌寒かったですが、まだ長袖とフリースで行けました。夕焼けが見えるかと思って日没時間近くまで海岸にいましたが、もの凄いぼやっとした感じで終わりました・・・
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ということでこの後は地蔵町駅から松山市まで行って一泊しました。
  へ続く
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この旅の行程
1日目



2日目



3日目






 
4日目







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以上