2013.4.12
四国バイク旅.6日目 朝7時30分頃。宇和島城は、元々藤堂高虎によって築かれた。
丘陵(今でも急な坂道を登る)にあり結構疲れる。登っていても天守閣がなかなか見えてこないので、本当にあるのか?と勘繰りたくなるほどであった。
登り切って奥の方に3階建ての小さな天守が見えてきました。

左に回り込む。

天守の裏側(正面から見て左)

天守の裏側(正面から見て右)

朝日に包まれて荘厳な姿であった。

現在見られる天守などの建築は1600年代中盤の伊達氏によるものであるが、縄張そのものは築城の名手といわれた藤堂高虎の創建した当時の形が活用されたと見られている。

さすが高虎である。(知らないけど)

・‥…━━━☆・‥…━━━☆
記念に。

もうひとつ記念に。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆
ほんとに素敵な天守でした。
2019年に再訪しました⇒バースデイきっぷとかの旅-四国-.宇和島城編

この前は・・『高知城』へ。
この次は・・『松山城』へ。①
まとめ・・2013年 現存天守12城 訪問記
・‥…━━━☆・‥…━━━☆
この旅の行程:タグは 四国バイク旅2013
この日は・・四国バイク旅.6日目(国道439号と四国カルスト)
前日は・・四国バイク旅.5日目(国道439号とマンガ神社)
翌日(四国バイク旅.7日目)は・・
『伊予鉄道大手町駅』の平面交差
『伊予鉄道古町駅』の平面交差
『松山城』へ。①
『松山城』へ。②
以上
四国バイク旅.6日目 朝7時30分頃。宇和島城は、元々藤堂高虎によって築かれた。
丘陵(今でも急な坂道を登る)にあり結構疲れる。登っていても天守閣がなかなか見えてこないので、本当にあるのか?と勘繰りたくなるほどであった。
登り切って奥の方に3階建ての小さな天守が見えてきました。

左に回り込む。

天守の裏側(正面から見て左)

天守の裏側(正面から見て右)

朝日に包まれて荘厳な姿であった。

現在見られる天守などの建築は1600年代中盤の伊達氏によるものであるが、縄張そのものは築城の名手といわれた藤堂高虎の創建した当時の形が活用されたと見られている。

さすが高虎である。(知らないけど)

・‥…━━━☆・‥…━━━☆
記念に。

もうひとつ記念に。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆
ほんとに素敵な天守でした。
2019年に再訪しました⇒バースデイきっぷとかの旅-四国-.宇和島城編

この前は・・『高知城』へ。
この次は・・『松山城』へ。①
まとめ・・2013年 現存天守12城 訪問記
・‥…━━━☆・‥…━━━☆
この旅の行程:タグは 四国バイク旅2013
この日は・・四国バイク旅.6日目(国道439号と四国カルスト)
前日は・・四国バイク旅.5日目(国道439号とマンガ神社)
翌日(四国バイク旅.7日目)は・・
『伊予鉄道大手町駅』の平面交差
『伊予鉄道古町駅』の平面交差
『松山城』へ。①
『松山城』へ。②
以上