2013.4.26
桜山八幡宮にある「高山祭屋台会館」へ。
以下、高山祭の個人的な思い出。前職でお世話になっていた業者さんの取締役の方が、高山市出身で「高山祭は屋台が凄い。是非見に行ってください」と、やたら祭押し。ちなみにその会社の社員旅行も、彼のゴリ押しで高山祭を見に行くというハードコアな仕様。私もその時は「いちいち縁日の屋台見る為だけにそんな遠くに行けるかい!」程度の認識。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆
今回、ガラス越しに展示されている屋台見て息をのんだ。

何というきらびやかな屋台であろうか。23台ある屋台のうち4台ずつ交代で展示している。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆
「みこし」 明治21年から5年をかけて作成された。

どことなく聖帝サウザーの悪趣味のバギーに通じるものがある。

「退かぬ!媚びぬ!省みぬ!」

・‥…━━━☆・‥…━━━☆
「神馬台」 明和6年(1769年)に再建、天明元年(1781年)に新調。

左右側面に2個づつ後面に1個の般若面を大きく刺繍している。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆
「布袋台」 享保年間(1716~1735年)の創建。

握り手綱36条と9人の綱方を要する極めて複雑巧妙なカラクリ人形。1人4本の綱を操るということでしょうか?


・‥…━━━☆・‥…━━━☆
「鳳凰台」 嘉永7年(1854年)に大修理。

人生のうち1回はこういう車に乗って登場してみたい。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆
「神楽台」 現在も屋台行列の先頭に立ち、祭囃子を流しながら曳いている。着飾った目玉の親父みたいだ。

ここで太鼓たたく人は気持ち良いだろうな。ヨシキがたたいて壊したらどうなりますかね?

ここ高山は幕府の天領(幕府の直轄地)になったことにより、それまでの上方好みの文化に加えて江戸の文化が流れ込み、見事にミックスされて栄えた。江戸時代の高山というと、もの凄い山奥だったと思います。そんな環境でこんな豪華絢爛な文化を花開かせるとは、飛騨の国とは奥が深い。
以上
☆★☆★☆★☆★
追記:
お隣の博物館『桜山日光館』へ。
秩父の屋台『秩父まつり会館』へ。
ねぷた『立佞武多の館』へ。
ねぶた『ねぶたの家 ワ・ラッセ』へ。
以上
桜山八幡宮にある「高山祭屋台会館」へ。
以下、高山祭の個人的な思い出。前職でお世話になっていた業者さんの取締役の方が、高山市出身で「高山祭は屋台が凄い。是非見に行ってください」と、やたら祭押し。ちなみにその会社の社員旅行も、彼のゴリ押しで高山祭を見に行くというハードコアな仕様。私もその時は「いちいち縁日の屋台見る為だけにそんな遠くに行けるかい!」程度の認識。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆
今回、ガラス越しに展示されている屋台見て息をのんだ。

何というきらびやかな屋台であろうか。23台ある屋台のうち4台ずつ交代で展示している。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆
「みこし」 明治21年から5年をかけて作成された。

どことなく聖帝サウザーの悪趣味のバギーに通じるものがある。

「退かぬ!媚びぬ!省みぬ!」

・‥…━━━☆・‥…━━━☆
「神馬台」 明和6年(1769年)に再建、天明元年(1781年)に新調。

左右側面に2個づつ後面に1個の般若面を大きく刺繍している。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆
「布袋台」 享保年間(1716~1735年)の創建。

握り手綱36条と9人の綱方を要する極めて複雑巧妙なカラクリ人形。1人4本の綱を操るということでしょうか?


・‥…━━━☆・‥…━━━☆
「鳳凰台」 嘉永7年(1854年)に大修理。

人生のうち1回はこういう車に乗って登場してみたい。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆
「神楽台」 現在も屋台行列の先頭に立ち、祭囃子を流しながら曳いている。着飾った目玉の親父みたいだ。

ここで太鼓たたく人は気持ち良いだろうな。ヨシキがたたいて壊したらどうなりますかね?

ここ高山は幕府の天領(幕府の直轄地)になったことにより、それまでの上方好みの文化に加えて江戸の文化が流れ込み、見事にミックスされて栄えた。江戸時代の高山というと、もの凄い山奥だったと思います。そんな環境でこんな豪華絢爛な文化を花開かせるとは、飛騨の国とは奥が深い。
以上
☆★☆★☆★☆★
追記:
お隣の博物館『桜山日光館』へ。
秩父の屋台『秩父まつり会館』へ。
ねぷた『立佞武多の館』へ。
ねぶた『ねぶたの家 ワ・ラッセ』へ。
以上