2014.5.31
『大谷資料館』へ。 ⇒日光いろは坂の後、足尾銅山・本山鉱山神社を訪問(後編)
前編はこちら⇒足尾銅山と本山鉱山神社へ。(前編)
相変わらずの強い個性の鳥居がお出迎え。

前回はこの鳥居をくぐり100mくらい行ったところで、道が分からず引き返しました。昔はこの辺りに鉱山住宅が立ち並び、昭和38年4月には290世帯1167人、銅山閉山となった昭和48年2月末には137世帯477人が暮らしていたが、その年の8月についに無人となってしまう。それから約40年が経過している訳ですが、今でもコンクリの土台だけは残っています。

この半分崩れている建物の横を抜け、沢の跡(雨天時は水が流れるのでしょうか?)を超えます。
ちなみに帰り道にその沢にかかる配管を撮影。この配管の上を一緒に行った転〇林さんは、真っ先に渡って行かれました・・地味に下の沢まで高さがあります。多分、お家でも『混ぜるな危険』と書いてある液体を混ぜていると思います。

しばらく草ぼうぼうの山道を不安になりながら進むと・・何とも趣のある灯籠が見えてきました。

しかし今回、このブログを書くに当たり、WEBを検索してみるとしっかり行き方が書いてありました。前回、ちゃんと見てから行けば良かったよ・・ただ『朽ちた橋が架かっている』とあるが、既に朽ち果ててます。
http://www.shorebook.jp/ashi/yamafunaisi.html
それにしても、この載せ方だと気軽に訪問できそうな神社だが、ちょっと一人で行くには心細い道程が続きますので、ご注意ください。奥の階段は山の圧力に負けてしまったのでしょう。石段が前面に押し出されていて、歩きにくい事この上ない。

この『本山鉱山神社』・・明治22(1889)年、銅山繁栄を願う抗夫達によって、旧本山社宅の最上段に建設されたのだという。

階段を上ると少し開けた空間が広がっており、こちらにも灯籠がありました。

いつ立てたのかは分からないが、まわりの風景と不釣り合いなしっかりとした案内板がありましたが・・山登る前に地図と共に出しといた方が良いかと。コストパフォーマンスがすこぶる悪い立地と言わざるを得ません。

看板の左側には、元階段と言いたくなるほどの崩れかけた石段。

その元階段の石段を上ると、見えてきたのは今までの山道からは想像できない立派な拝殿です。

先ほどの案内板によると、社殿の竣工式は明治22年(1889年)4月28日とあります。さすがに何度か改修を行っているのでしょうが、無人になってから早40年以上、思っていたよりも保存状態が良く驚きました。

時刻は18時過ぎ、日が長いとはいえさすがに暗くなってきました。早く探索終了しないと完全に日が暮れてしまいます。
私たちが久し振りの訪問者だったからなのでしょうか。何だかずっとこの狛犬に話しかけられそうな気がして仕方がありませんでした。ちなみに犬の扱いなら、家でポメとトイプーを飼っているので少々自信があります。

拝殿の奥にある本殿に向かう石段もこの状態。

崩壊寸前の石段を見るに、地盤が緩くなっているのでしょう。壊れてしまわないように?本殿にヒモが巻かれていました。今も定期的に管理されている方がいらっしゃるのでしょうか。

本殿の下の方は腐りかけていましたが、柱には立派な彫刻も施されていました。
無人となって40年経過した山の中の元住宅地を今も静かに見守っている本山鉱山神社。深い感謝の念を込めたお辞儀をしてから帰路に着きました。
以上
□■□■□■□■□
足尾関連は
群馬ディスティネーションキャンペーンpart2
『古河掛水倶楽部』へ。(その他あり)
『足尾銅山(本山鉱山神社と小滝坑跡)』へ。
『細尾第一発電所』へ。
鉱山繋がり・・
四国バイク旅.8日目『別子銅山跡』へ。
秩父 更に山奥へ・・・ニッチツ鉱山。
終わり
『大谷資料館』へ。 ⇒日光いろは坂の後、足尾銅山・本山鉱山神社を訪問(後編)
前編はこちら⇒足尾銅山と本山鉱山神社へ。(前編)
相変わらずの強い個性の鳥居がお出迎え。

前回はこの鳥居をくぐり100mくらい行ったところで、道が分からず引き返しました。昔はこの辺りに鉱山住宅が立ち並び、昭和38年4月には290世帯1167人、銅山閉山となった昭和48年2月末には137世帯477人が暮らしていたが、その年の8月についに無人となってしまう。それから約40年が経過している訳ですが、今でもコンクリの土台だけは残っています。

この半分崩れている建物の横を抜け、沢の跡(雨天時は水が流れるのでしょうか?)を超えます。

ちなみに帰り道にその沢にかかる配管を撮影。この配管の上を一緒に行った転〇林さんは、真っ先に渡って行かれました・・地味に下の沢まで高さがあります。多分、お家でも『混ぜるな危険』と書いてある液体を混ぜていると思います。

しばらく草ぼうぼうの山道を不安になりながら進むと・・何とも趣のある灯籠が見えてきました。

しかし今回、このブログを書くに当たり、WEBを検索してみるとしっかり行き方が書いてありました。前回、ちゃんと見てから行けば良かったよ・・ただ『朽ちた橋が架かっている』とあるが、既に朽ち果ててます。
http://www.shorebook.jp/ashi/yamafunaisi.html
それにしても、この載せ方だと気軽に訪問できそうな神社だが、ちょっと一人で行くには心細い道程が続きますので、ご注意ください。奥の階段は山の圧力に負けてしまったのでしょう。石段が前面に押し出されていて、歩きにくい事この上ない。

この『本山鉱山神社』・・明治22(1889)年、銅山繁栄を願う抗夫達によって、旧本山社宅の最上段に建設されたのだという。

階段を上ると少し開けた空間が広がっており、こちらにも灯籠がありました。

いつ立てたのかは分からないが、まわりの風景と不釣り合いなしっかりとした案内板がありましたが・・山登る前に地図と共に出しといた方が良いかと。コストパフォーマンスがすこぶる悪い立地と言わざるを得ません。

看板の左側には、元階段と言いたくなるほどの崩れかけた石段。

その元階段の石段を上ると、見えてきたのは今までの山道からは想像できない立派な拝殿です。

先ほどの案内板によると、社殿の竣工式は明治22年(1889年)4月28日とあります。さすがに何度か改修を行っているのでしょうが、無人になってから早40年以上、思っていたよりも保存状態が良く驚きました。

時刻は18時過ぎ、日が長いとはいえさすがに暗くなってきました。早く探索終了しないと完全に日が暮れてしまいます。
私たちが久し振りの訪問者だったからなのでしょうか。何だかずっとこの狛犬に話しかけられそうな気がして仕方がありませんでした。ちなみに犬の扱いなら、家でポメとトイプーを飼っているので少々自信があります。

拝殿の奥にある本殿に向かう石段もこの状態。

崩壊寸前の石段を見るに、地盤が緩くなっているのでしょう。壊れてしまわないように?本殿にヒモが巻かれていました。今も定期的に管理されている方がいらっしゃるのでしょうか。

本殿の下の方は腐りかけていましたが、柱には立派な彫刻も施されていました。

無人となって40年経過した山の中の元住宅地を今も静かに見守っている本山鉱山神社。深い感謝の念を込めたお辞儀をしてから帰路に着きました。
以上
□■□■□■□■□
足尾関連は
群馬ディスティネーションキャンペーンpart2
『古河掛水倶楽部』へ。(その他あり)
『足尾銅山(本山鉱山神社と小滝坑跡)』へ。
『細尾第一発電所』へ。
鉱山繋がり・・
四国バイク旅.8日目『別子銅山跡』へ。
秩父 更に山奥へ・・・ニッチツ鉱山。
終わり
