2019.8.31
 の続き
狩川駅の次は人生2回目の高屋駅、8時20分到着の折り返しは8時39分です。DSC_0957
2013年以来の高屋駅です ⇒
駅前の広場では何かの工事が行われていました。
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上の写真の左端の乗船受付所の張り紙は全体的に強引というかちょっと滑っています。
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駅前広場の端にあった看板、「何だこのちょっと強引で滑り気味の小説は・・・」と思っていましたが、著者の芳賀由也さんという方はこの船下りやってる会社の方でした。道理で全体的に話が強引なはずである。
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工事用の柵の向こう、前にここ来た時にはあった跨線橋が無くなっていました。
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看板の文字が消えてて何だか分からん・・・でもこのこ線橋の先には昔スキー場があったそうです。土台の銘板には「高屋駅構内簡易こ線橋 1981年12月 施工者新庄建設㈱」の見字が見えました。跨線橋に簡易とかあるんでしょうかね?
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駅前の通りを奥に進むと、一軒の民家があってその先は行き止まりの様でした。
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奥に見えるのは最上川、手前に見えるのはガードレールの残がいです。
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駅自体の定期利用者は居ないと思われます。駅前の乗船受付所の舟なのかは分かりませんが、対岸に小さな船が停まっていました。
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ホームから見る高屋駅構内簡易こ線橋、この先には見たところ山以外には何にもありません。
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続く
さて早起きして新庄から陸羽西線に乗ったのは、清川駅から歩いて「清河八郎記念館」に行くためです。
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清川駅は元々は1面2線だったのでしょう、ずいぶんと幅があるホームでした。
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清川はかつては最上川交通の要衝として船運で栄えた宿場で、庄内藩の関所があった場所なんだそう。
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こちらは歓喜寺の参道です。「線路内に立ち入らないで下さい」という注意看板がありますが、その割には線路のこっち側にはお寺の駐車場もあるし、ご丁寧に階段と手すりまであります。
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ここには清河八郎のお墓があります。この人がいなければ今我々が知っている新選組は生まれなかったであろう。それにしても34歳で暗殺とは余りにも短い人生ですが、たったその34年の人生で明治維新に影響を与えたということ。
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大人物であります。お墓は非常に苔むした階段の先にありました。
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お寺の前を横ぎるこの水路は「北楯大堰」と言います。ご興味ある方は「北館大学利長」で検索してください。
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ちなみに朝降りた狩川駅の近くにあった見龍寺がその北館大学利長の菩提寺です。
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歓喜寺のお隣には御諸皇子(ごしょのおうじ)神社がありました。源義経一行がここで一夜を明かして、最上川を上っていったそうです。一体誰が見たのでしょうか・・・
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御諸皇子神社には立派な山門がありました。でもここからの登り坂を登るのは止めておきました。
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こちらの神社の参道も豪快に陸羽西線を横切っておりました。
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体育館がありました。現地の看板によると清川小学校は2009(平成21)年に廃校になってます。
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「清川魂」という字を見ると、何かしら革命を引き起こしそうな感じがします。
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清川の街並み
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こちらが本日の一番の目的である「清河八郎記念館」です。没後100年忌を記念して1962(昭和38)年に建てられました。敷地は広いので大型バス数台は余裕で駐車できますので皆様も是非どうぞ。
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開館前に着いたので記念館の階段で座って待っていると、裏の森の中から可愛いスピッツを散歩する地元の方が出てきました。色々話していると、「戊辰の時に負けなかったのは庄内藩だけ」と誇らしげに話していたのが記憶に残りました。
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後で係員の人に聞いたら冬はこの階段の上まで雪が積もるから、この記念館も冬季休業だそうです。
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色んな資料がありました。こんな田舎から明治維新を力強く回転させた男が出てきたとは驚きである。
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「結構人来るよ」という話ですが、疑った訳ではないけど台帳見たら1日1人来てれば良い方でした。
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帰りは清川神社の脇を抜けて、地元の方お勧めの林の中から駅に向かうことにしました。ここは「御殿林」といって1717(享保2)年から防風林として庄内藩主が植えたもの。
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そして1868(慶応4)年4月に、庄内軍がここに本陣を敷いて薩長軍と戦って勝った「清川口の戦い」の戦場です。4月だと同じ戊辰戦争の会津戦争の前の話しですね。そして庄内藩は結果的には恭順したものの、最後まで自領に新政府軍の侵入を許さなかったという猛者っぷりです。
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そんな戊辰の戦場も今は左は町民プール・右は記念館と病院ととても平和な場所になっていて、とても気持ちの良い散歩道でした。
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「戊辰の時に負けなかったのは庄内藩だけ」という地元の方の言葉はこれからも忘れない事でしょう。
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 に続く
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この旅の行程









陸羽東線・西線の旅.4日目前編(狩川駅)

終わり