2022.4.9
早朝の小諸をぶらぶら(4/7編) の続き
車も入れない小道に入ってみると古い家がそのまま残っていました。

築何年でしょうか・・・ここは人しか入れない小道の先なので解体も出来ないのでしょう。

そして惟善(いぜん)学校の跡地という神社がありました。

この惟善学校は説明書きによると、1872(明治5)年の学制で各地に学校が創立されたが、被差別部落の子どもたちは差別により学校に行くことができなかったことから、部落の人びとが独自に1880(明治13)年につくられたもの。という事です。

この石造りの鳥居には大正12(1923)年10月10日 「国威宣揚」「武運〇〇 長久かな?」という文字が刻まれていました。ちなみにこの年の9月に関東大震災が起きているし、1918年に第一次世界大戦が終結、前年の1922年にはワシントン海軍軍縮条約が締結されたりと激動の時代ですね。

神社は白山比咩神社 参道が狭いのでここに旗降りてきたら物凄い通りにくそうです。

駅の方から歩いてくると蛇堀川(じゃぼりがわ)を渡った先にある変形五差路に「馬頭観世音」「浅間山別富信楽寺(追分宿)」の石碑がありました。そして結果的に小諸本陣から折り返した加増1丁目7付近まで1.8㎞だったので、朝飯前に4㎞以上歩いてしまいました。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆
これからはホテルへの帰り道。ちなみにその旧北国街道を歩いた1.8㎞で30mくらい登ってきていました。

これは元々なんだったんでしょう。

この先が小諸駅方面になります。写真だと分かりにくいですが、旧北国街道と小諸駅には30mくらい標高差があるので駅に向かって結構な下り坂が続きます。強い雨の日とか普通に道路に流れてきそうでちょっと嫌ですね。

北南東造形美術専門学校?前橋じゃないですか・・・新幹線開通前だったら近くは無いけど繋がっている感はありますね。

それにしても情報が多い塀です。ここからは駅の正確な位置を分かっていなかったけど、8時前頃のため学生達が駅に向かっていたのでその後を付いていくことにしました。


続く
早朝の小諸をぶらぶら(4/7編) の続き
車も入れない小道に入ってみると古い家がそのまま残っていました。

築何年でしょうか・・・ここは人しか入れない小道の先なので解体も出来ないのでしょう。

そして惟善(いぜん)学校の跡地という神社がありました。

この惟善学校は説明書きによると、1872(明治5)年の学制で各地に学校が創立されたが、被差別部落の子どもたちは差別により学校に行くことができなかったことから、部落の人びとが独自に1880(明治13)年につくられたもの。という事です。

この石造りの鳥居には大正12(1923)年10月10日 「国威宣揚」「武運〇〇 長久かな?」という文字が刻まれていました。ちなみにこの年の9月に関東大震災が起きているし、1918年に第一次世界大戦が終結、前年の1922年にはワシントン海軍軍縮条約が締結されたりと激動の時代ですね。

神社は白山比咩神社 参道が狭いのでここに旗降りてきたら物凄い通りにくそうです。

駅の方から歩いてくると蛇堀川(じゃぼりがわ)を渡った先にある変形五差路に「馬頭観世音」「浅間山別富信楽寺(追分宿)」の石碑がありました。そして結果的に小諸本陣から折り返した加増1丁目7付近まで1.8㎞だったので、朝飯前に4㎞以上歩いてしまいました。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆
これからはホテルへの帰り道。ちなみにその旧北国街道を歩いた1.8㎞で30mくらい登ってきていました。

これは元々なんだったんでしょう。

この先が小諸駅方面になります。写真だと分かりにくいですが、旧北国街道と小諸駅には30mくらい標高差があるので駅に向かって結構な下り坂が続きます。強い雨の日とか普通に道路に流れてきそうでちょっと嫌ですね。

北南東造形美術専門学校?前橋じゃないですか・・・新幹線開通前だったら近くは無いけど繋がっている感はありますね。

それにしても情報が多い塀です。ここからは駅の正確な位置を分かっていなかったけど、8時前頃のため学生達が駅に向かっていたのでその後を付いていくことにしました。


市役所を通り過ぎて駅の近くに戻ってきました。左に曲がると下り坂で小諸駅、右に曲がると上り坂で旧北国街道という分かりやすい斜めっぷりです。

この駅前の道も国道18号から駅までずっと下り坂です。

可愛らしい意匠がいかにも昭和のビルですね。このご時世ですから2階3階はテナント集めに苦労しそうです。

駅から見ると緩やかに上り坂になっていますので、何か落としたらひたすら転がってきそうです。

スクランブル交差点がありましたが押しボタン式でした。ということでこの辺りで一旦ホテルの朝食バイキングを食べに戻ろうと思います。結局2時間も歩き回ってしまいました。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆
ホテルから小諸駅の北側を見ると高い建物は全く無かったです。そしてさすがに腹が空いていたので過去最高に朝ご飯を食べた気がしますが、バイキングのおかずがほとんど残っていなかったので漬物を大量にご飯に乗せて食べました。

駅の方を見てもそんなに高い建物は無いですね。歩いていた旧北国街道は写真でいうと左の方なので、駅に向かってなだらかに下っていることが分かります。

使って無さそうな駅の設備

早朝の小諸をぶらぶら(6/7編) へ続く
□■□■□■□■□
小諸に1泊二日で行った旅
1日目
寝過ごして信濃境駅へ
清里駅前をぶらぶら(前編)
清里駅前をぶらぶら(後編)
中込駅前をぶらぶら(前編)
中込駅前をぶらぶら(後編)
2日目
早朝の小諸をぶらぶら(1/7編)
早朝の小諸をぶらぶら(2/7編)
早朝の小諸をぶらぶら(3/7編)
早朝の小諸をぶらぶら(4/7編)
早朝の小諸をぶらぶら(5/7編)
早朝の小諸をぶらぶら(6/7編)
早朝の小諸をぶらぶら(7/7編)
岩村田駅前をぶらぶら
臼田駅前をぶらぶら
臼田と小淵沢駅前をぶらぶら
終わり

この駅前の道も国道18号から駅までずっと下り坂です。

可愛らしい意匠がいかにも昭和のビルですね。このご時世ですから2階3階はテナント集めに苦労しそうです。

駅から見ると緩やかに上り坂になっていますので、何か落としたらひたすら転がってきそうです。

スクランブル交差点がありましたが押しボタン式でした。ということでこの辺りで一旦ホテルの朝食バイキングを食べに戻ろうと思います。結局2時間も歩き回ってしまいました。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆
ホテルから小諸駅の北側を見ると高い建物は全く無かったです。そしてさすがに腹が空いていたので過去最高に朝ご飯を食べた気がしますが、バイキングのおかずがほとんど残っていなかったので漬物を大量にご飯に乗せて食べました。

駅の方を見てもそんなに高い建物は無いですね。歩いていた旧北国街道は写真でいうと左の方なので、駅に向かってなだらかに下っていることが分かります。

使って無さそうな駅の設備

早朝の小諸をぶらぶら(6/7編) へ続く
□■□■□■□■□
小諸に1泊二日で行った旅
1日目
寝過ごして信濃境駅へ
清里駅前をぶらぶら(前編)
清里駅前をぶらぶら(後編)
中込駅前をぶらぶら(前編)
中込駅前をぶらぶら(後編)
2日目
早朝の小諸をぶらぶら(1/7編)
早朝の小諸をぶらぶら(2/7編)
早朝の小諸をぶらぶら(3/7編)
早朝の小諸をぶらぶら(4/7編)
早朝の小諸をぶらぶら(5/7編)
早朝の小諸をぶらぶら(6/7編)
早朝の小諸をぶらぶら(7/7編)
岩村田駅前をぶらぶら
臼田駅前をぶらぶら
臼田と小淵沢駅前をぶらぶら
終わり

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