2023.10.15
  の続き

ということでお次は下金山駅から金山駅に向かいます。
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そして金山で下車しました。今は富良野から新得までの根室本線は廃止になってしまいましたが、この旅をしている時点では列車はこの先の東鹿越までは通っていました。
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富良野~新得間の2014年3月での廃線は既に発表されていたので、この日は日曜日だった事もあってそこそこ撮影者の方々がいました。まぁ私もその廃線のニュースを見て乗りに来たので、撮りに来たか乗りに来たかの違いですね。
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この金山地区は昭和20年から30年代には林業を中心に活気にあふれ、その後は金山ダムの建設でも栄えたそうです。
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その金山ダムは昭和34年実施計画調査着手、昭和36年から建設事業に着手して昭和42年9月に完成しております。ということでこの地区は昭和40年代前半までが一番賑わっていたということですね。
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この金山駅は明治33年12月の開駅です。当駅付近の森林は良質で製紙会社の工場があり、落合付近から空知川を流送した木材を原料として砕木パルプを製造して、江別にある別の工場へ供給していました。
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しかし何やかんやで国鉄の合理化により、昭和61年10月31日には完全に無人駅となりました。
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こちらは旧金山小学校です。金山地区には明治24年に砂金採取人が定住し、明治35年に金山簡易教育所として開校、昭和22年に金山小学校に改称して昭和34年には児童数417人を数えました。今まで2,458人が卒業して、2016年に金山小学校・下金山小学校を統廃合し114年の歴史に幕を閉じました。
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今まで2,458人が卒業して、2016年に金山小学校・下金山小学校を統廃合して114年の歴史に幕を閉じました。この地区に400人もの児童がいたとはにわかに信じられません。
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学校の近くにあった金山神社
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続く
南富良野町の資料を見ると「明治24年(1891年)に皆川友吉が石川商店裏で採取を始める」と書いてありました。金山は南富良野発祥の地で、明治24年(1891年)に砂金採取者が日高山脈を越えて金山に入地したのが始まりだそうですが、日高山脈を越えてきたのに驚きます。そっちから来たか・・・
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このエリアを歩いていると昔はお店とか家々が立ち並んでいた事が何となく分かります。
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こうやって国道237号線から金山駅を見るとすぐ近くまで山が迫っている事が分かります。
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ということで南富良野のWEBから
明治44年建築 明治時代の木造客車の車内照明には灯油ランプが使用され、夕暮れ時に停車する主要駅で係員が各客車の上にあがり、作業窓からランプを吊り下げる仕組みとなった。このランプと燃料を収納するのに使われていた小屋がランプ小屋と呼ばれるようになった。危険物を取り扱うことから堅牢で耐火性に富む煉瓦造りとなっており、明治時代に建設された旧国鉄時代の主要駅には一般的に存在したが、用途の消滅や駅の増改築に伴い急速に消滅し、北海道で残っているのは金山駅の他に山部駅しかなく、本町で現存する最も古い建造物となっている 。
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ということですが、山部駅もこの金山駅もまさかのランプ小屋が消える前に駅ごと消えてしまいました。
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ホームに何となく立っていたら、反対側のホームで撮影していた兄ちゃんが「次の列車乗るんですか?」って声を掛けてきました。私が撮影の邪魔をしていたのでしょう。
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それだけでむかついたので「はい」とだけ答えて、列車が来るまで意味もなくずっとホームに立っていました。明らかに車で来て1円もJRにお金落とさない奴より乗る奴の方が偉いでしょう。ということで東鹿越から戻ってきたキハ40に乗って富良野に戻りましょう。
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 へ続く
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この旅の行程


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