2026.12.26
 の続き

2日目と書きましたが、最初は1日目の椿泊の続きです。
移動販売車が来ていました。椿泊は車が無いとスーパーにも行けませんし、最後に家までの階段があるというご高齢の方にはかなり辛い環境だと思います。
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ということで家までの階段特集です。
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この等覚寺を抜けると・・・
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抜けた先に超絶に狭いクランクが出てきます。敵が来た時に寺に兵を集合させて防御的に使う算段だったのでしょう。普通車でも通り抜けられるのか不安なサイズです。
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集落の奥にあったのは椿泊小です。最盛期の1928年には610人もの児童数が居たそうですが、今は全校生徒10人で児童数減少のためこの2025年度末で閉校になるそうです。
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小学校の脇を抜けてどんどん歩いていくと波消し目的?の桟橋みたいのがありました。
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プールもありました。横の家の玄関前にいた秋田犬(おそらく)に吠えられてしまいました。ごめんない。
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ということで日が暮れる前に宿に向かいました。夜はたくさんお刺身が出たのでたくさん食べたら予想通りに夜お腹を壊しました。普段小食なおっさんが食べてはいけない量だったのです。本館の隣の別館に泊まったのですが、私一人しか居なかったので心置きなくトイレに行けたのは良かったです。
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翌朝 散歩で佐田神社へ
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漁師町の神社だからなのか船とか龍がありました。
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本殿の横を登っていくと、明治37.38年 戦役?紀念と書かれた大きな記念碑がありました。日露戦争に関連しているのでしょう。
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佐田神社の高台から。ここにある家のうちお住いになられている家はどのくらいあるのでしょうか。椿泊を含む椿地区の人口は2000年に2,177人、2021年では1,192人とこの20年ですら半分くらいに減っちゃってます。阿南市の人口自体は昭和50年代がピークなので、椿泊の人口もピーク時からはかなり減っているのでしょう。
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この海沿いの道は相当後になってからできたそうです。右側の低い防波堤が昔からので、左側の高い防波堤は後から出来たのでしょう。新しく出来た道からみると元々の防波堤は家の窓の直ぐそこ・・海が荒れたら思いっきり波を被りそうです。
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ゆきや荘の方も「すぐそこから」と言ってましたし、2004年まで椿泊に寄港していた伊島連絡船「みしま」の乗り場は、多分この開口部から出入りしていたのではないでしょうか。ただここから船を利用していた人達は、どうやって鉄道とかに移動していたのでしょうか・・バス?
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この道路が出来る前は火事とか事故とかあったら、あの道の狭さでどうやって緊急車両は対応していたのでしょう。
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椿泊の集落の入口あった「椿泊保育所」跡 ということで朝9時前には椿泊を離れました。
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谷自動車さんにレンタカーを返しに行くと、何とご親切な事にお店の方が阿波橘駅まで車で送ってくれました。何から何まで谷自動車さんにはお世話になりっぱなしでございました。
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さて、ここからお次は牟岐駅まで向かいます。
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 へ続く
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この旅の行程
 




終わり